『「糸井重里>>>>>(越えられない壁)>>>mixiとかはてな」という現実』についての所感

下で引用しているエントリ、刺激的なタイトルに惹かれて読んでみたが、あんま賛同できないな。

糸井さんとその他善意のネズミ講の違うところは、大事なところなんで繰り返しますが糸井さんは無自覚では無いんですよ。

でも、ツッコミとしては刺激的なので、所感を述べてみたい。

おれはmixiやhatenaが格別気持ち悪いとは思わない。IT屋だってコンサル屋だってテレビドラマだって大差ないっしょ。「Grid Computing」?なにそれ新しい聖人の名前?ってなもんだ*1。違うのは信者の多さと種類だけ。

ビジネスの世界ってのは、みながみな善意のネズミ講みたいなもんでないのか? 株式会社なんてのは、みながみな資本の論理という宗教のイチ分派なんじゃないのか? 「そういうルール」のゲームなんじゃないか? と思うから。それをゲームの外にまで当てはめて盲信したり絶対化してほめたたえるなら、その人の知性考えの及ぶ範囲が足りないだけ。(あ、実際そう言ってるのか。。) それからどこまでをゲームと考えるかは人によって違う。

糸井氏がそれに自覚的であるのは、それが「トップクラスの広告屋」の証というだけだと思う。資本の論理、消費の論理のど真ん中でそれを相対化しつづけることが仕事なんだから。

この書き手はそれを絶対化するという罠にはまっている気がする。逆に、流行る宗教に反感をもったとして、それに替わりうる善意の株式会社をどこかに想定しているのでは同じ穴の狢でないか、とも思う。「株式会社」とは、資本主義社会の法に定められた特殊な人格の一種。そもそもが特定のゲーム用の人格なんだから、株式会社にゲームプレーヤとしての自覚も表明も必要ないだろう。

個人的には、自分が感じる「気持ち悪さ」相当の距離感を自分で取ればいいだけの話なので、「詐欺師」とまで言う必要はないと思うな。レトリックならそれとわかるようにしたほうがいい。

*1:じっさい神託屋さんのお言葉なわけですが