「オープン」というルールで戦うことのリスクとメリット

itproの記事より。

羽生氏は,今後,人材の流動性が高まることは避けられないと語る。現に,派遣会社のエンジニアのスタッフ登録は減ってきているという。優秀なエンジニアは,コミュニティの中で転職先を見つけるようになってきているからだ。企業が,自社のエンジニアをコミュニティに積極的に参加させるようにすれば,引き抜かれる危険性もある代わり,他社の優秀なエンジニアを連れてきてくれることもある。

 もはや,会社が認めてくれなくても,外部が認めてくれることは十分ある時代である。OSSによりルールが変わったのだ。ボランティアを上回るような志の高さを会社がきちんと示せないと,優秀な人材を引き留めることはできない。

強調部分は、「情報は公開されうる」というルールで戦う限り、OSSに限らないはずだ。

例えば、コードがオープンになり、ソフトウェアがオープンになり、言論がオープンになりつつある今、ブログでアイディア、企画を書き続けることでだって「会社が認めてくれなくても,外部が認めてくれることは十分ある」だろう。

企業側からすると、そうした「オープンななにか」に対する個人のコミットを認めることには、当然リスクもあるが、厳しい生存競争を勝ち抜くためには避けて通れない道なんじゃないか。

「オープンななにか」に対する個人のコミットを認めるリスク

「オープンななにか」に対する個人のコミットを認めるリスクはいくつかある。

自社よりもその個人を高く評価する企業はいつでも現れうるという意味での「人材の流出リスク」、個人が企業の信用を毀損するような行動を取る可能性がないとは言えないという意味での「信用リスク」、守秘すべき情報や個人の行動から企業内の様子がわかってしまうという意味での「情報の流出リスク」。

でもそれっていちいち反論できる。

人材流出リスクについては、他に高く評価されるような人材を引き留めておけないような環境を作っちゃダメってことだ。

信用リスクについては、そもそも信用を毀損するような行動を許容する企業風土が悪い。許容してないことを充分に伝えているにもかかわらず問題行動があれば、そんな個人を雇っている方が悪い。法的に対応できるガイドラインに従えばよい。

情報の流出リスクについても同様。信用リスクと同じ対応でよい。すべきこと、すべきではないこと、を日ごろからきちんと伝えるしかない。

もちろんこれは「理想を追求するなら」の話で、組織が大きくなればこんな理想論だけではだめだろう。ただ、小さな規模なのに理想を徹底できないようでは、未来なんてない。

「オープン」であればフィードバックが得られる

インターネットとその進化(「伽藍とバザール」から「Web2.0」へ)は、「よいものがオープンになっていればよいレスポンスがあり、悪いものがオープンになっていれば悪いレスポンスがある」というフィードバックループを強化した。

よいものをオープンにできる努力をして、よいレスポンス(知名度であったり人材であったりアイディアであったり)を得て、それを自社の競争力に転換できる会社と、そうしたフィードバックが働かない会社では、差がつくのは当たり前だ。だとすれば、オープンな環境のなかで競争力を磨かなければ、やっぱり企業に未来なんてない。特に理想でドライブされるべきステージの企業にとっては。

コードがオープンになり、言論がオープンになり、そのことの価値が評価されつつある今、企業がオープンになっちゃいけない理由はない。

それが「新しいルール」なんだろう。